Syrup16gについて
インディーズ時代から「Free Throw」や「Copy」等で、独特の世界観を見せていたsyrup16g。
2002年にアルバム「coup d'Etat」でメジャーデビューを果たした彼らはそれから矢継ぎ早にアルバムをリリースしていく。
同年 「delayed」
2003年 「HELL-SEE」
2004年 「Mouth to Mouse」
2004年 「delayedead」
初期衝動の塊のような「Free Throw」「Copy」。
「coup d'Etat」が攻撃的で、噛み付くような凶暴さと、毒を撒き散らかす破れかぶれさを発揮していることに比べ、「delayed」は幾分か穏やかだ。穏やかで静謐で、屈指の美しいメロディと、そして絶望に溢れている。
続く「HELL-SEE」。元々ミニアルバムとして製作されていたところを無理やり15曲ぶちこみ、価格は当初の設定のままの1500円で出すという、逆ギレにも似た出産経緯を経たこのアルバムは、自虐的で、そして暴力的だ。
そしてバンド初のシングルリリース(!)を間に挟み、「Mouth to Mouse」がリリースされる。諦め・諦観といった匂いが色濃く漂うこのアルバムには、世界の矛盾を打ち抜くような「パープルムカデ」、あまりにストレートなラブソングの「My Song」等が収録されている。
その後、インディーズ時代の楽曲を再録した「delayedead」をリリースし、日比谷の野音で「第1期syrup16g」の完結を標榜し、活動休止を宣言する。
この日比谷でのライブはDVDとしてリリースされている。僕はそこに行くことはかなわず、DVDでその姿を見たが、それでさえ背筋が寒くなるような凄まじいライヴだった。
鬼気迫る、といっていいような五十嵐と中畑とキタダの姿。
その後、バンドは長い休止に入る。
僕はその頃もう社会人になっていた。色んなことが起きる毎日。syrup16gを聞いてやり過ごしていたような気がする。
syrup16gの音楽を聴いているときは自由になれた。
活動休止を宣言した2004年10月から、syrup16gの時間は止まったままだった。年に何回か、たまにライヴ活動はするが、本格的に動き出すという気配はない。音源を出すという話も聴かない。そのくせ、曲だけは作られているらしく、まるまる新曲のライブ等もあり、僕はやきもきしていた。
はやく、はやくsyrup16gを聞かせてほしい。
今のような、どっちつかずの活動ではなく、syrup16gとして僕らの前に出て欲しい。
未発表の音源が積み重なっていく中、2007年にsyrup16gは「END ROLL」と題したツアーを行う。
このタイトルを見て、たぶんファンは薄々気付いていたような気がする。
ツアーの最終日、五十嵐が翌年3月の武道館でのライブを告知する。
一瞬沸く会場、だが次の言葉で冷水を浴びせたかのように静まり返った。
「それをもって、バンドを一旦、終了させてもらおうと思います」
半分予想された中での、なのに信じることができなかった解散宣言。
syrup16gの幕が引かれる、と五十嵐は言ったのだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇
翌年、2008年1月にラストアルバム「syrup16g」がリリースされる。
最後にしてセルフタイトルのこのアルバムは、どこまでも異質だ。それは今までのアルバムを聞いていた人間からすれば明らかだった。
今までからすれば異質なほどポップ、どうしようもなく終わっていく寂しさ。今現在の心情を切り取ったかのようにドキュメントな歌詞。そこには、ある季節の終わりを歌うバンドの姿があった。
たくさんの歌
たくさんの思い出が
イマジネーション
体を突き抜けてく (イマジネーション)
破滅の美学なんかを
利用して
いざとなりゃ死ぬつもりだった (ニセモノ)
夢からさめてしまわぬように
夢の先のことを考えるのはやめておこう (夢からさめてしまわぬように)
最初にして最後の武道館ライブ。それだけはなんとしても見たくて朝からチケット屋に並んだけど、取れなかった。その後の追加席抽選で当てることができ、なんとか当日の切符を手にした。
2008年3月1日。
「Live Forever」と題されたラストライブ。
何もかもが異様だった。
その場にいた人間として言えるが、開始から空気がおかしかった。一体、この痛くなるほど重い空気はなんなのだろう。
僕の記憶では、最初の何曲かまでは、ずっと重いままだった。みんなsyrup16g解散という現実に対処しきれてないような気がした。
会場の空気が変わったのは「負け犬」で五十嵐がイントロをミスしたあたりからだったような気がする。
ギターをミスした五十嵐は、「負け犬だけに!」と叫んでまたやり直したが、そこから会場の空気が変わってきた。
曲の合間に「ありがとー!!」と叫ぶ客がいた。
僕も叫びたかったが言葉にならなかった。
syrup16gが終わる。もしかしたら五十嵐はこれで音楽を辞めてしまうかもしれない。
ただただ、最後が切なくて、悲しくて。走馬灯のように、今までリリースした多くの曲を演奏する3人の姿が眩しくて。
言葉にならなかった。
前回も書いたが、MCの後に鳴らされた「翌日」。僕はもう死んでもいいと思った。
これで終わるのならしょうがない、と。
この圧倒的な幸福感の中で死ねたらいいな、と一瞬だけ思った。
それぐらい「翌日」は圧倒的で、僕の胸に響いたのだ。
そして、よく出来たエピローグのように始まった「Reborn」。
曲の途中で、客電がつき会場が真っ白になった。
「終わったんだ」と思った。
この美しい一瞬をもって、syrup16gというバンドは終わったのだ。
syrup16gのイメージカラーは黒か灰色だと思っていた。人を憂鬱にさせる、暗い色。
でも、本当はどこまでも眩しく、希望を求めてやまない清冽な白こそが、このバンドに相応しい。
そうしてこの日のライブは終わった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
帰りは一駅歩いた。
そのまま電車に乗る気にならなかったから。
僕にとってあまりに特別すぎたバンドが終わってしまったことについて、考えを整理したかった。
確かにラストアルバムを聴いても、バンドが今までとは同じ方向を歩けないだろうことは一目瞭然だった。それは五十嵐自身の変節によるところが大きい。
「ロッキン・オン」や「音楽と人」の五十嵐インタビューを読んで思ったが、五十嵐はsyrup16gというバンドと、自身の変化から生まれる軋轢に考えるところがあったのだろう。
syrup16gをsyrup16gとして、イノセントなものにしたかったのではないか、と今では思う。
しかし、それはあくまでも、ファンと自分自身と、そしてバンドに対して真摯であろうとした結果のように思える。
自分も周囲も、ごまかす事が出来ず、向かい合った結果の解散であったんだと今は思う。
だからsyrup16gの音楽は今でも永遠として、僕の胸に響いている。
最近、syrup16gの音楽を以前ほど聞き返すことが少なくなった。
転職して、以前の鬱になるようなストレスから抜け出したせいかもしれない。
年をとって、感性が変わったのかもしれない。
でも、たまにスピーカーから鳴らすその音は僕を惹きつけてやまない。
いつだってsyrup16gの曲を聴けば、ある種の感情が胸に湧いてくる。
これはこれで青春映画だったよ
俺たちの (さくら)
syrup16gを初めて聴いたあの時から、長い季節はいまだ続いている。
僕の中の、上書きできないところでずっと鳴り響いている。
そんな気がする。
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【youtube】Syrup16g - 夢からさめてしまわぬように
[音楽] [syrup16g]
